松山平野
【まつやまへいや】

道後平野ともいう。松山市周辺の平野。重信(しげのぶ)川および石手川流域の沖積平野。面積約100km(^2)。松山市吉田浜から伊予市にかけて砂丘が発達。標高132mの松山(勝山)城をはじめ,75mの星ケ岡,51mの天山などの分離丘陵(もと島)が残り,山麓には播磨塚・矢取川などの洪積台地が残る。重信川流域には砂礫層が段丘あるいは扇状地を形成し,伊予郡砥部(とべ)町原町付近には10m・20mの2段の段丘があり,その西方伊予市南部には洪積期の灰白色粘土が発達し,暗灰色の砂層はときに埋木を蔵し,結晶片岩・和泉砂岩・輝緑岩・安山岩などの円角礫を含む礫層とともに台地をなしている。伊予市南西方で和泉砂岩層の北西側に位する洪積層はほとんど結晶片岩礫からなり,偽層が発達しているので,北西に80°ほど傾いているが,傾斜は西北方に次第に緩やかになり,西東側の断層線に沿って洪積層が引き上げられたと考えられる。平野南方の洪積層はしばしば音地(おんじ)という火山灰を頂く。石手川・小野川・重信川・矢取川の谷口付近には扇状地が発達し,扇端には湧水がある。松山平野の灌漑様式の特色は溜池が少なく,重信川の伏流水の湧泉に依存するものが多いことである。標高は国道33号の石井付近で40m,松山城の西麓で20m,東麓で30mである。平野には現在の海岸線から約1km内側から条里制が残っており,方位は真北で,市ノ坪(一ノ坪)はじめ条里にちなむ地名もある。重信川および石手川は近世に流路を改修したので,条里制は現在の川に関係なく区切られている。平野には郡中・原町・横河原などの谷口集落がある。平野の集落形態は50~100戸程度の集村形態が多い。平野の南麓は中央構造線が東西に走り,砥部には衝上断層がよく見える所があり,天然記念物に指定されている。山麓の傾斜地には明治・大正期にナシが多く栽培されていたが,現在はほとんど柑橘園化されている。一方,果樹栽培と並行して,第2次大戦後,重信川中・下流域では,都市向けの野菜の栽培が始まり,松前(まさき)町でも,カボチャ・タマネギを中心とした野菜栽培が砂丘地利用の形で行われている。松山市の発展に伴って,平野は,古い米作農業から,果樹・近郊農業地域へと変容を遂げている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7203181 |





