矢野崎村
【やのざきむら】

(近代)明治22年~昭和4年の西宇和郡の自治体名。八幡浜(やわたはま)湾に面し,千丈川右岸に位置する。大平村・高野地村および八幡浜浦の一部が合併して成立。大字は大平・高野地・向灘(むかいなだ)。村役場を大字向灘字高城に設置。村名は宇和海に突き出た岬名による。村内の学校を統合して,明治25年大字高野地に矢野崎第二尋常小学校,翌26年大字向灘字高城に矢野崎第一尋常小学校開校。明治43年の田49町・畑270町余,戸数908戸,うち農家569,物産は麦4,150石・甘藷51万3,000貫,繭250石,また明治27年大家百治郎が導入した柑橘は5,700貫で,「品位は先進の日土村を凌駕し,三崎産のミカンと共に郡下第一位たり」とある(矢野崎村誌)。また大字向灘地区620戸のうち漁業に関係する者500戸・2,000人に及び,在来の船引網・底引網のほか巾着網・打瀬網が導入され,宇和海一帯に出漁する打瀬網の9割は当地区のものという(同前)。大正9年八幡浜町境の字高城の海面522坪,同12年2,400坪を両町村共同で埋め立てた。この頃,岡田虎三郎により,岡田織布株式会社第2工場(織機400台,綿布年産35万反)を字高城に新設(現酒六本社工場)。大正10年の戸数1,028・人口5,173。昭和4年の村勢は世帯1,209・人口6,190,田43町余・畑266町余,物産は広幅綿布79万3,191円,酒7万2,366円・甘藷6万4,759円・ミカン5万4,257円・夏柑1万8,910円・繭10万3,934円・鯛25万円・黒鯛4万2,000円・鰺3万円など(市町村治績録)。昭和5年1月1日南隣りの八幡浜町に合併。各大字は同町の大字として存続。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7203499 |





