上山下村
【かみやましもむら】

旧国名:土佐
(近世)江戸期の村名。幡多郡のうち。土佐藩領。上山郷のうち四万十(しまんと)川の中流域の村々の総称。「土佐州郡志」によれば,上山郷の本村である田野々村のうちの下田野々村(上山本村下分)をはじめ大野村・戸川村・烏村・地芳村・川口村・弘瀬村・井崎村・小野村・細古(細々)村・窪川村・大道村・大井川村・野之川村・四手村・轟村・津賀村・茅吹手村・浦越村・黒川村・江師村・小石村・小屋之内村・下道村の計24か村からなる。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」によれば,上山村のうち下分24か村として,木(小)屋カ内村・下道村・小石村・本村(下田野々村)の4か村は江師村といい,庄屋道右衛門支配,黒川村・茅葺手村・津賀村・浦越村の4か村は庄屋荘左衛門支配,野々川村・大井川村は老嘉八支配,四手村・轟村は庄屋幾平支配,細々村・大道村・久保川村は庄屋弁次支配,大野村・川口村・広瀬村・井崎村・戸川村・からす村・地吉村の7か村は十川といい,庄屋市原氏直支配,小野村・田野々村は庄屋重五右衛門支配とある。「宝暦手鏡」によれば本田1,933石余・新田638石余,切畑142石余,村上改3石余,領知361石余,家数800・人数3,969(男2,023・女1,946),牛43・馬204,年貢諸役は田銀1貫584匁余・竹役61匁余・小網役銀94匁余,鉄砲202,寺8・堂10,茶株76万余・楮株27万余・蕨白味69石・同黒味56石・蕨縄491束余(門脇家文書)。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」では,本田1,981石余・新田871石余,家数775・人数4,536,牛馬350程,猟師筒152挺,寺5,郷士8,御用紙大中折406束・小中折185束,御用楮635貫・同蕨縄450把,御蔵紙仕入銀46貫余,御定納仙過紙5,216束,厚紙149束,献上蕨粉1石4斗,御留山89か所程,地下浪人3・酒屋2。明治3年の郷村帳では上山下分として2,711石余(本田1,311石余・新田1,400石余)。紙漉が盛んに行われた地域。現在の十和村の全域と大正町の北西部にあたる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7205026 |





