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高知県
【こうちけん】


(近代)明治4年~現在の県名。明治4年7月廃藩置県により旧土佐国を県域として成立。県庁は,同17年帯屋町へ移転するまで,高知城西麓の藩校致道館跡に置かれていた旧藩庁舎を使用した。県政は当初,大参事深尾真澄以下旧藩吏があたり,東京にいた林有造・神山郡廉が権大参事として参与したが,明治4年9月林有造が大参事,新官制により参事に就任した。同月には県下7郡に区制が施行されるなど,明治政府による中央集権化への諸策が始動したが,それに対する農民などの不安・不満が醸成され,東京で県財政整理にあたっていた林有造は民情不穏の報により帰県した。しかし同年12月徴兵制に反対し四民平等反対・異国人排斥・旧藩知事復帰を要望する膏取一揆が,吾川(あがわ)・高岡両郡の仁淀川上流域一帯から土佐郡の山間部にかけて発生した。また同7年12月には幡多郡下で徴兵反対一揆も発生した。これらを鎮圧しつつ,林のあとをうけ同5年11月権令に就いた岩崎長武などの下で,同8年大区小区制,同11年郡区町村編制法が施行されていった。また明治7年には沖ノ島・鵜来島・姫島が愛媛県から移管されて幡多郡へ編入され,同9年8月には名東県のうち旧阿波国分を編入,名東郡字寺島へ徳島支庁を開設した。同12年7月府県会規則が制定され,10月最初の県議会を開催,県政の体制が整えられた。この最初の県会において,阿波選出議員から阿波分離案が提出され,明治政府を動かし,同13年3月高知県から分離,徳島県として新置された。阿波編入は,高知立志社と呼応して明治7年設立された民権派自助社の攻撃をそらす意図があったのではないかといわれ,最初の県会開催前後の時期は,立志社から愛国社再興,自由党組織の時期にあたり,高知県下でも自由民権運動が盛んで,官権派・民権派の衝突が続いた。明治22年市制町村制の施行により旧城下の高知街・南街・北街・上街が高知市となり,県政の中心地となった。また同年に御免町・須崎町も成立。明治24年の「徴発物件一覧表」によれば,高知市のほか安芸郡25か村・香美郡28か村・長岡郡1町24か村・土佐郡19か村・吾川郡25か村・高岡郡1町37か村・幡多郡36か村で,計1市2町194村となっている。その後,周辺村の編入による高知市の拡大や町村合併が進み,昭和29年安芸市・須崎市・中村市・宿毛(すくも)市・土佐清水市,同34年室戸市・南国市・土佐市が成立,同60年現在9市25町19村となっている。また戸数・人口は,明治21年12万7,287・56万8,758,大正4年12万5,126・68万5,661(県史近代)。世帯数・人口は,昭和23年18万6,071・86万9,385(同前),同60年28万6,692・83万2,852,平成12年33万2,432・81万9,252となっている。面積は7,107.03km(^2)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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