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金剛頂寺
【こんごうちょうじ】


室戸市元にある寺。真言宗豊山派。竜頭山光明院と号す。本尊は薬師如来。行当岬の崎山台地上に位置する。室戸岬にある最御崎寺を東寺というのに対して,西寺という。四国霊場八十八か所第26番札所。御詠歌は「往生に望みをかくる極楽は月のかたむく西寺の空」。「南路志」所引の寺記によれば,空海が草創した最初の寺で,大同元年唐より帰国の折行当岬の硯浦に船を着け,山に登って魔障を退治し方4町余を結界の地としたと伝える。寛治3年撰の「大師御行状集記」に「金剛定寺」の建立にあたり妨害をした悪魔を空海が足摺崎に追い払ったことが見える(続群8下)。また,「弘法大師御伝」には「室生戸崎」で仏法修行の時に「金剛定寺」を建立,房舎を造って棲息所としたとある(同前)。この金剛定寺とは当寺のこと。その後次第に寺領が形成されたようである。延久2年の金剛頂寺解案によると,国宰より庶民に至るまで当寺仏法の霊験を仰がんがため,山川田畠を施入したとある。四至は「東限海岸,西限波禰中山,北限佐貴河」で,現在の室戸市の大部分を占める。しかし,当時西北に隣接していた山城国石清水八幡宮領奈半荘(現安芸郡奈半利(なはり)町)の荘司らに押領されたため,本寺(京都東寺か)を介して朝廷に訴えたが横暴はやまず,荒廃した寺内の修理も進まないため,再訴する有様であった(東寺百合文書/平遺1047)。同文書には別当・三綱の4名の役僧の署名があり,平安中期には中央寺院のように寺内機構が整っていたことがうかがえる(同前)。歴代住持のうち空海から10世住持蓮覚までは天皇の宣旨によって任にあたったと伝える(南路志)。現室戸市一帯を寺領とした頃から,室戸岬の最御崎寺を支配下に置くようになり,鎌倉末期~室町初期には,同寺住持を兼帯した(同前)。14世我宝は最御崎寺のほかに京都槙尾西明寺も兼帯した僧で最御崎寺の発展に尽力した。正安4年に最御崎寺領として室津一色を獲得(金剛頂寺文書/拾遺)。この院宣の宛所は「我宝上人御房」であり,当寺の寺運の向上にもつながっていたと思われる。康永3年閏2月5日の金剛頂寺家政所注進状は,正安4年10月に注進された計27町9反25代の神供田実検帳に,新開発分を加えて注進したもので,鎮守十八所社・中津上社・若王子社・岩戸社の神田3町2反余のほか,当寺の運営費として金堂御仏聖米・御影堂御仏聖米各々3石6斗,計10石8斗の安田荘からの上納米などを記す(同前)。これより先,永仁3年12月,安田荘の領家と下司との間で下地中分が行われた。その際の和与状に「一 上下山事」として「領家被召材木并檜皮之時,不可有違乱,就中,両寺〈金剛頂寺 最御崎寺〉造栄之時,同不可違乱矣」と見え(山城国仁和寺文書/鎌遺18961),領家・当寺・最御崎寺の堂宇造営の時には滞りなく材木・檜皮を出すようにとの取決めがなされた。室町期の文明11年2月火災にかかったが,同18年に本堂の再建を遂げた。同年10月落慶供養が行われ,紀伊国根来寺(現和歌山県岩出町,新義真言宗大本山)の道瑜が導師を勤めている。その際の願文に「当山外護源出羽守親秀」とあり,香美郡の有力土豪として勢力をのばした香宗我部親秀の援助を得ての再建であった(金剛頂寺文書/拾遺)。また,鎮守の法満権現社の永正10年の棟札銘によると親秀は「俗別当」を称しており,当寺の運営にかかわっていた(木屑)。天正3年の長宗我部氏の土佐国統一後も,寺勢を維持。天正15年の西寺地検帳によれば,寺領は黒耳から浮津までの地と,室津の一部を加えた41町4反余である。また,本坊の大坊のほか,脇坊に中之坊・南泉坊・東之坊・上之坊・西之坊が見え,大師講・舎利講・薬師講・法満神事・十八所神事田など諸行事用の田畑も記されており,活発な寺院運営の様子がうかがえる。江戸期山内一豊の入国とともに寺領は一旦没収されたが,改めて黒耳村崎山の8町(80石)の本田と寺領百姓11人が寄進された(慶長6年10月日付西寺御寺領分田地並御百姓相渡目録之事/南路志)。その後,崎山で20石,椎名・津呂で24石5斗の新田が寺付役知として認められた(南路志)。歴代土佐藩主の帰依を受けて祈祷所とされ,特に2代忠義の崇敬は篤く,大塔・御影堂・鐘楼などの再建の際援助をしている(同前)。江戸中期頃の境内には本堂・御影堂・塔堂(大塔)・中之坊・東之坊・池之坊・松樹院・鐘楼・弁財天・閼伽井堂・釜堂・十八所・若一王子などのほか,法満権現(奥院)・行道岩屋・弥勒堂などがあった(土佐州郡志)。その後退転した堂宇もあったが,江戸末期まで寺観を維持している(南路志)。明治32年の大火で伽藍・古文書などを焼失。64世義道の尽力で再興され現在に至る。本堂・鐘楼・仁王門・大師堂・客殿・庫裏・宝物殿,捕鯨資料を集めた鯨昌館などが並び,寺内の椎林は寄生植物ヤッコソウの自生地として県天然記念物に指定されている。宝物殿内には檜の寄木造りの木造阿弥陀如来坐像(平安後期作),板彫真言八祖像(嘉暦2年2月定審作),像高22.3cmの銅造観音菩薩立像(白鳳期作),銅鐘(朝鮮鐘,高麗時代),金銅密教法具(鎌倉期作),金銅旅壇具(平安後期作),大毘盧遮那経・金剛頂経(平安前期作)の国重文ほか多数の文化財を保管する。




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「角川日本地名大辞典」
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