100辞書・辞典一括検索

JLogos

63

土佐電気鉄道
【とさでんきてつどう】


土佐電気鉄道株式会社が経営する路面電車軌道。高知市を中心に伊野(吾川(あがわ)郡伊野町)と後免町(南国市)を結ぶ東西方向の伊野線・後免線と,高知市内高知駅前と桟橋通5丁目を結ぶ南北方向の桟橋線の2系統の路線からなる。総延長は25.3km。両系統ははりまや橋交差点で直交する。はりまや橋~伊野間は全長11.2km,駅数33。はりまや橋~後免町間は全長10.9km,駅数32。はりまや橋~高知駅前間は全長0.8km,駅数3。はりまや橋~桟橋5丁目間は全長2.4km,駅数8。明治36年7月,土佐電気鉄道が設立され,翌37年5月,堀詰~乗出(現グランド通り)間,桟橋~梅の辻(鏡川南岸)間が開通した。日本で10番目の都市路面電車。同39年4月には梅の辻から鏡川を渡り,旧城下の堀詰へ連絡,同年10月には乗出~鏡川橋間が開通した。その後,西は同40年9月に鏡川橋~咥内間,同年11月枝川~伊野間,翌41年2月には咥内~枝川間が開通し,高知市街と伊野が結ばれた。一方,東は,明治41年10月堀詰~下知(宝永町)間,翌42年10月には下知~葛島間が開通し,同43年12月には大津(舟戸)まで延長され,同44年1月に後免中町通,5月に後免東町まで通じた。同年8月には新地通から遊郭のあった稲荷新地の新地まで支線も引かれたが,この路線は昭和28年に廃止された。港(桟橋)と高知市街,紙産地伊野を結ぶことが電車敷設の目的の1つとされ,当初は貨車も走り,製紙原料や製品の紙が運ばれた。電車開通により,旭地区や城見町など,沿線の都市化も促進された。大正11年8月,土佐電気鉄道株式会社は土佐水力電気株式会社と合併し,土佐電気株式会社を設立。同14年2月,後免東町~後免町駅前間が開通した。大正13年11月の国鉄高知線(現土讃本線)の高知~須崎間の開通をうけて,昭和3年8月には梅の辻~国鉄高知駅前間に軌道が敷かれ,梅の辻~堀詰を鉤形に結んだ旧軌道は廃された。これに伴い交差点は堀詰から播磨屋橋へ移動し,播磨屋橋の交通中心地が形成された。昭和16年7月,戦時政策により土佐電気株式会社の軌道事業は,高知鉄道や土佐バスと合併,土佐交通株式会社となった。なお,高知鉄道は大正9年1月の設立で,同13年12月には後免町~手結(てい)(夜須町)間,昭和5年4月には手結~安芸間の総延長26.8kmが開通している。第2次大戦後,昭和23年6月に土佐交通株式会社は,土佐電気の後身である南海鍛圧機株式会社と合併し,現社名である土佐電気鉄道株式会社と称した。翌年には後免~安芸間が電化され,同25年には貨物輸送用の蒸気機関車も姿を消したが,その後,国鉄阿佐線が計画されたため,同49年3月末で後免~安芸間は廃線となった。しかし,国鉄は建設計画を白紙に戻したため,地元では新たな方式による鉄道建設の可能性を検討中。身近な住民の交通機関として親しまれた路面電車が全国的に廃止されるなかで,市民から土電(とでん)と親しまれている数少ない存続路線として著名。昭和59年11月には明治38年当時の7型電車が復元された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7206896