波川
【はかわ】

旧国名:土佐
三方に小高い山があり,仁淀川右岸に位置する。「高知県史要」は「和名抄」に見える吾川(あがわ)郷について「今訛りて波川と称す」と記しているが,詳細は不明。この地に本姓蘇我氏の波川玄蕃頭の武将がおり,「元親記」には当国波川謀叛之事の一節があり,「此波川には,幡多山路の城を預をかれしか,不届の子細有て被召上,又波川へ帰住す」と見え,波川玄蕃頭の切腹死と長子弥次郎を中心にした波川軍と長宗我部軍の鎌田城合戦に関する記述がある(続群23上)。地内には古城跡3か所があり,いずれも波川氏関係のものと伝える。天正19年の蒲田村地検帳に見える「古土居ヤシキ」と推定される遺跡から土師器・須恵器が出土している(伊野町史)。江戸期の月田神社遺跡がある。
【波川村(中世)】 織豊期に見える村名。
【波川村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【波川(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7207503 |





