100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

東津野村
【ひがしつのむら】


(近代)明治22年~現在の高岡郡の自治体名。四国カルスト南麓,四万十(しまんと)川支流の北川上流域に位置する。船戸・芳生野(よしうの)・北川の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。役場を船戸(力石の字西谷口)に設置。村名は,当地が江戸期の津野山郷東部3か村の地域であることによる。明治24年の戸数804・人口3,870(男2,088・女1,782),廐484。同29年船戸の一部から力石・桑ケ市・烏出川の3大字が起立して6大字となる。現在,当村の中心集落として芳生野南部から対岸の力石向新田や北川東川の一部まで広がる新田地区は,本来芳生野の小字で,明治22年頃には交通の便も悪い茅野であった。しかし,同29年郡道津野山線(現国道197号)が新田まで通り,同31年力石との間に新田橋が架けられると,急速に町づくりが進んだ。同43年力石から役場が移されたのち新田の区域はさらに広がり,力石西部(向新田)までのびていった。郡道津野山線は明治33年北川の高野,同34年檮原(ゆすはら)に延び,同35年県道に編入。同37年新田から郷地区(芳生野甲・乙)に道路開通。大正4年郡道船戸久礼線開通。北川の大古味方面への道は昭和8年の完成。昭和5年野村バスが窪川~新田間の運行を開始。昭和7年頃の資料によれば,面積8.44方里,反別は田151町・畑175町,戸数1,208・人口5,444,農産は10万9,474円で主産物は米・麦・甘藷・繭など,林産10万9,316円,うち首位を占める木炭は4万7,262円で,用材・楮・三椏などがこれに次ぐ。工産8,892円,うち名産の津野山茶が半分を占め,茶の年産は約5,000円に達する。畜産6,578円・水産716円。船戸川の特産物に,セイランという珍しい川海苔がある(県誌)。同11年の生産総額36万826円うち農産21万2,857円・畜産9,442円・林産11万6,931円・水産8,965円・工産1万2,631円,主要生産品は米・木炭・三椏(経済一覧)。同19年新田上駄場に軍用保護馬鍛錬場が作られる。同21年健民病院落成。同26年久礼~大野見間のバス路線が船戸まで延長。同37年向新田に役場新庁舎落成。昭和36年天狗高原一帯が県立自然公園の指定を受け,同40年四国カルストと改称。同44年にはふもとからの登山道である林道上郷線(現県道四国カルスト線)が開通し,頂上に国民宿舎天狗荘が落成。同年矢筈トンネルが貫通し,郷地区から仁淀村へ道が通じた。同45年村営バスが私営バスの代替運行を開始。同46年津野山養護老人ホーム高原荘落成。同47年小・中学校の名目統合を実施,天狗高原が国民休養地に指定される。同年高原総合センター,同51年農協製茶工場,同57年自然休養村管理センターが力石に落成。人口は,昭和30年6,250,同40年5,036。世帯数・人口は,同45年1,160・4,335,同55年1,181・3,537。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7207719