高良内
【こうらうち】

旧国名:筑後
高良川上流域から耳納(みのう)山地山間部に位置する。「高良記」によると,もと尾崎村と称し,高良山360坊のうち15坊を当地に建立,以後高良内の名が起きたという。また高良玉垂宮神秘書によれば,高良三職の1つ,高良山座主丹波氏の屋敷所在地で,同屋敷地42町のうち当地分は30町,東は山の横堀,西は高良の道,南は山際,北は瓦礫場(つぶてば)を限る。また宗崎はもと高良内の一部であったという。後期古墳や西行の古代瓦窯跡,応永11年銘の地蔵菩薩像板碑もある。徳間の泉は高良3泉の1つ。
【高良内村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【高良内村(近代)】 明治22年~昭和26年の自治体名。
【高良内町(近代)】 昭和26年~現在の久留米市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7211069 |





