対馬小路上
【つましょうじかみ】

旧国名:筑前
(近世)江戸期~明治7年の町名。江戸期は博多の1町。那珂川下流右岸に位置する。洲崎流のうち。那珂川に並行した洲崎町の東隣にあたる縦筋町(三奈木黒田家所蔵福博古図)。博多七小路の1つで,秀吉の博多町割の時以来の古い町。「石城志」所収の絵図には,「ツシマ小路」と記されている。当町がまだ海辺だった頃,対馬藩の倉屋敷があったので町名になった(続風土記付録)。その屋敷地は天正15年秀吉征西の折,宗対馬守義智が薩摩の出水郡の所領は遠隔で不便だとし,沖の浜のうち30間の邸地を賜ったことに由来する(石城志)。江戸期の日鮮貿易の基地であった。元禄年間の家数32(続風土記),宝暦年間の家数34,間数79間余(石城志)。延宝8年の博多通り筋大火に被災した(博多津要録)。慶応2年には畳職・志荷商人・印彫職・鍛冶・髪結など職人の多く住む町であった(博多店運上帳)。明治初期の町格は中,間数73間余,賦課高5貫750文(石城遺聞)。明治7年上対馬小路と改称。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7212870 |





