中山
【なかやま】

旧国名:筑後
矢部川支流の沖端川上流左岸に位置する。地名の由来は,山は小高い地形に立地することにちなみ,中は東清水山連山と柳川との中間にあることからといわれる。沖端川の分流が中央を貫流し,その沿岸に集落がある。かつて清楽寺(小堂)の什物に金銅板金の曼荼羅があり,銘文に「大日本国鎮西瀬高庄清楽寺建久五年六月十三日慶升が工師藤原延次作」とある。現在茨城県利根町徳満寺の所蔵で,国重文に指定されている。西の黒衣に加藤清正陣営の跡があり,慶長5年関ケ原役後柳川に帰った立花宗茂に開城を勧めるため瀬高に在陣し,当地で会見したという。
【中山村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【中山(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7213395 |





