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原古賀町①
【はらんこがまち】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の町名。江戸期は久留米城下の1町。原野古賀町とも書き,古くから苧漕川町の異称があった(明暦2年古代日記書抜)。城の南方に位置し,柳川へ至る街道沿いの町並みで,北は池町川を境に三本松町に続き,西には荘島侍小路がある。地名は中世の春野長者屋敷跡に由来するという(柏葉抄録)。寛文9年には「原古賀町三丁目より南追々家建つ」とあり(石原家記),「延宝絵図」では5丁目まで記され,町外れに城下南口の番所が見える。宝永年間の家数197(啓忘録抜萃)。享保9年にも大火があったが(石原家記),同11年の城下町大火後の町入替えで7丁目までのび,番所も5丁目から7丁目の端に移った。この新番所までの町並みを新地,番所の外の柳川街道沿いを出町と称した。安永年間の町間数7町38間,ほかに新地23間,駅屋も置かれ,城下から四方にのびる要地。幕末期の町別当は,5丁目までが田鍋屋掛り,6~7丁目と出町が戸板屋掛りとなる(久留米市誌)。鎮守は諏訪社,正保年間に洗切(現洗町)から4丁目に移された(境内碑)。ほかに2丁目に恵比須神社があった。明治3年坊津~小倉街道上の府中駅が廃止され,業務は原古賀駅に移された。同5年2丁目の人馬問屋村塚久太郎宅に郵便取扱所が開設され,同8年久留米郵便局と称した。同年人力車組合村塚組が組織され,交通・通信の中心地となった。同9年苧扱川(おこんがわ)町と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213983