東泉村
【ひがしいずみむら】

旧国名:筑後
(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山本郡のうち。耳納(みのう)山北東麓の扇状地に位置する。北部を豊後街道山辺道が通る。地名の由来は,扇状地に多い湧水にちなむ。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。泉組に属す。村高は,「元禄国絵図」368石余,「在方諸覚書」の古高600石余,「天保郷帳」373石余,「旧高旧領」727石余。文化4年には田27町1反余・畑13町6反余・居屋敷5反余(農政農民史料集)。寛政元年の人数295,馬31,年貢撫6斗7升(筑後上三郡取調手鑑)。鎮守は天満宮,ほかに寛政2年日向国から眼病の神として分霊した生目八幡がある。明治7年の山本郡物産表では櫨実・藍の産出が多い。同9年耳納村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7214034 |





