東犀川村
【ひがしさいがわむら】

(近代)明治22~37年の自治体名。はじめ仲津郡,明治29年からは京都(みやこ)郡に所属。今川に合流する高屋川の流域に位置する。上高屋・下高屋・続命院・古川・久富・末江・八ツ溝の7か村が合併して成立。旧村名を継承した7大字を編成。役場を古川に設置。今川は古く犀川と呼ばれ,中流域を犀川谷と称し,当地はその東部にあったことからこの村称を採った。合併時の戸数510・人口2,292,地積は田233町・畑30町・山林122町・雑種地109町など計525町。明治24年の戸数434・人口2,325(男1,147・女1,178),厩229,寺院9,学校3(徴発物件)。同25年赤痢が発生,患者数は死亡49を含む275。同26年10月豪雨に見舞われ被害があった(福岡日日新聞)。同29年古川に東犀川尋常小学校が新築落成。明治37年犀川村の一部となり,当村の7大字は犀川村の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7214071 |





