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東紫村
【ひがしむらさきむら】


(近代)明治22~40年の企救(きく)郡の自治体名。北方・守恒・徳力・南方・志井の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。村名は,紫川の東に位置することにより,西紫村に対し東紫村と名付けられた。役場を徳力に設置。合併時の戸数507・人口2,937,地積は田315町・畑55町・山林116町など計623町。明治24年の戸数506・人口3,008(男1,493・女1,515),厩263,寺院3,学校3(徴発物件)。同35年801戸・4,235人,同39年880戸・4,875人。明治30年以降,北方を中心として陸軍が進出し,歩兵第47連隊・騎兵第12連隊・野砲兵第12連隊・工兵第12大隊・輜重兵第12大隊などの兵営が順次建設されるに及び,当村は陸軍用地の色彩が強くなった。明治40年企救村の一部となり,村制時の5大字は同村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214157