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方城炭鉱
【ほうじょうたんこう】


田川郡の方城町・金田町・糸田町と田川市にまたがってあった炭鉱。三菱が明治28年に糒鉱区を買収して方城炭鉱と呼び,同43年に金田炭鉱を買収した,その両鉱の総称。同24年3月,田川地区は海軍予備炭田の指定が全面的に解除されたので,田川採炭・赤池炭鉱・豊国炭鉱と並んで,金田鉱区に柏木勘八郎・豊永長吉が共同で金田炭鉱を興した。この頃既に筑豊への進出を果たし,新入・鯰田両炭鉱を中心に着々と鉱区の拡張を図っていた三菱は,上山田炭鉱を取得した同じ明治28年12月,方城村の弁城・伊方などの鉱区を広瀬武彦・桑野重三郎などから譲り受け,田川地区へ進出した。翌29年1月,金川村糒の一ノ木に竪坑を開削,途中で試掘に変更したが結果が思わしくなく中止,ほかの試錐も同様の結果で,伊方亀ノ甲地区に調査を移した。この結果明治30年9月11日,高島炭鉱から取り寄せたガーランド式大試錐機械による試錐が,深さ720尺で八尺層に着炭した。翌年にかけて第2試錐が行われ,さらに同32年3月には筑豊鉄道が金田から伊田に開通し,同年7月には豊州鉄道の後藤寺~大任間も開通したが,折からの不況もあって,技士の欧米派遣など,開坑の準備が慎重に進められた。同34年2月,坑所用地15町歩余と鉄道引込線用地を買収,翌35年3月,深さ270mの第1竪坑(入気)・第2竪坑(排気)の開削が始められた。この掘削にはインガーソル削岩機が使用され,炭鉱界の嚆矢といわれた(三菱筑豊炭礦史年表)ほか,直径4.4mと5.5mの煉瓦築壁による大竪坑は,その規模と施設の斬新さで注目された。両竪坑は同41年1月,坑底で結ばれ,同43年4月に工事が完成した。この年の出炭量は20万t台に達し,労働者数も1,604人(うち女子437人)となった。同年10月,三菱は金田炭鉱を127万円で買収した。先に柏木勘八郎などによって開発され,明治25年柏村信の手に移り,同29年から旧長州藩主毛利家の経営となっていたのが,同42年4月,金田鉱業株式会社に改組されたもので,坑外設備に選炭機・エンドレスロープを既に採用し,買収時の年産29万8,243t,鉱夫数2,325人であった。金田炭鉱の出炭は,同44年31万9,003t,大正元年37万7,445tと増加したが,大正4年坑内火災が発生。以後年々低下して同7年には22万t台となった。もともと上質炭の八尺層は既に大半を採掘し終わっていたので,三菱は隣接する方城と合わせて稼行する目的で買収しており,大正2年には方城の通気改良のため,金田鉱区内に2つの斜坑を開削し,さらに同年8月,隣接の金谷炭鉱を買収した。同3年12月15日,方城炭坑でわが国鉱山史上最大の,死者671人に達する大爆発が起こった。明治30年代から大正期にかけて,全国的に炭鉱爆発が頻発したが,入坑者総数のうち生存者19名,死亡者のうち女子131人・救援隊員4人という惨事はほかに例をみなかった。採掘深度が深くなるにつれてガスと炭塵の危険が増大するのに,わが国では炭塵の研究を等閑に付した結果と,調査報告書が断じたこの爆発で,最後の遺体収容は10か月後の事であった。大正4年5月,生産を再開,同年末に労働者数2,841人となり,翌5年の出炭高は22万3,000tと災害前の水準に戻った。同5年には方城の第1斜坑・第2斜坑も貫通し,通気上の問題も解決したので生産は順調に発展し,同14年には両坑で50万tに近づいたが,金田炭鉱の採掘条件が悪化し,鉱害問題も加わって翌15年閉鎖された。昭和の不況期には坑内外の機械化や納屋制度の廃止など合理化によって,労働者1人当たりの年間出炭量を,昭和5年の132tから同10年の294tに躍進させて業界の注目を集めたほか,昭和8年には金田炭鉱を再開して増産態勢に入った。この結果,同15年には方城40万9,619t・金田28万4,107tの計69万3,726tの記録を作った。この時,在籍労働者は方城2,000人・金田1,012人の計3,012人であった。しかしこれを頂点に,生産は減少に転じ,戦後は両坑を坑内で連絡し,切羽の集約や立体採掘など合理化を進めたが,生産はほぼ20万t台に終始し,同32年以降はそれをも割るに至った。同32年,鉱命延長のため,中卸開発工事に着手したが,古洞の水抜き不能と大断層の出現で稼行は局限された。同34年には炭鉱スクラップ化政策の下で早期閉山方針が出され,組合との交渉に入ったが,結局新会社設立を条件とする閉山で合意し,同37年6月30日,約70年の歴史を閉じた。三菱方城炭鉱で採掘された石炭はおよそ2,087万tであった。なお第二会社方城炭鉱(年産9万367t,労働者数290人)は同40年3月16日,福菱鉱業新金田坑(年産2万8,524t,労働者数78)は昭和38年1月31日,石炭鉱業合理化事業団より閉山交付金を受けて消滅した。




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「角川日本地名大辞典」
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