万行寺前町
【まんぎょうじまえまち】

旧国名:筑前
(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名。江戸期は博多の1町。御笠川下流と那珂川下流に挟まれて位置する。西町流のうち最南端。矢倉門に続く縦筋の町で,町名は,往古当地に万行寺があったことに由来する。元禄年間ころは馬場町ともいい,馬場町の上を大工町といった(続風土記付録)。元禄年間の家数43(続風土記),宝暦年間の家数47,間数約135間(石城志)。万行寺は真宗の寺院で,はじめ普賢堂町にあったが,天文年間当町に移され,さらに祇園町に移された。開基は空性という(続風土記)。寺内には,博多の名娼明月の墓がある。延宝8年,藩は津中の札馬29頭のうち上馬持ちの4人に米2俵ずつを褒美として与え,また下馬を上馬に仕立て替えた者2人にも褒美を与えて上馬仕立てを奨励したが,当町の市郎右衛門も上馬持ちとして褒美を賜った(博多津要録)。宝暦9年上座・下座・夜須郡より入る木綿に運上がかかることになったが,木綿問屋として喜平次・文治・善右衛門の名が見える(同前)。慶応2年には,郡部に近いこともあり,運上銀5匁ずつを納める在郷問屋12軒をはじめ,柑類山野菜を商う店が多い。また大店としては,板場・辛子納屋・櫨実納屋をもち,蝋・辛子油製造を営む米屋庄七,麦粉・蕎麦粉問屋の丸屋仁平がいた(博多店運上帳)。明治12年の戸数61・人数306,馬1,物産は唐
・素麺・焼物人形類,民業は工15戸・商26戸・雑業20戸(福岡区地誌)。明治11年福岡区,同22年福岡市に所属。同年の戸数58・人数352(福岡市誌)。明治7年に本堂を焼失した万行寺再建に尽力した僧七里恒順は,同32年竜華孤児院を創立し,真宗の名僧とたたえられた。昭和20年の大空襲の被害は受けずに残った。同41年冷泉町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7214797 |





