箕田
【みだ】

旧国名:豊前
行橋平野の西部,障子ケ岳の東麓,長峡(ながお)川流域の小平地に位置する。ミタは御田を意味し,皇室の直轄地か,神社の神田に由来する地名。字所田には箱式石棺墓・石蓋土壙墓群があり,その遺跡から三角縁鳥文と内行花文の舶載鏡各一面が出土。集落南西の丘陵上には箕田丸山古墳(軸長50m),集落西方の丘陵上に軸長80m,2段築造,周湟の扇八幡古墳(県史跡)がある。後者は6世紀前半,前者は6世紀中頃の前方後円墳で,当地周辺が京都平野を支配する有力豪族の拠点だったことを思わせる。字方志は荘園の牓示に由来する地名であるが,天文年間に人が住みついたという(京都郡誌)。
【箕田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【箕田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7214889 |





