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宗像西郷
【むなかたさいごう】


旧国名:筑前

(中世)鎌倉期~戦国期に見える郷名。筑前国宗像(むなかた)郡のうち。文暦2年9月19日の関東御教書案に「筑前国宗像社雑掌申,西郷沙汰人押領本木保内入免田弐町并小武畠地等」とある(宗像神社文書/鎌遺4821)。次いで,文永12年2月30日の六波羅御教書に「西郷住人手光小太郎兵衛礼念」とある(宗像大宮司文書/鎌遺11832)。南北朝期に入って,観応2年11月2日,足利尊氏は少弐頼尚の所領「宗像西郷」などを大友氏泰に宛行っている(大友文書/南北朝遺3242)。また,正平7年正月16日の少弐宗祥(資経)所領注文には,「亡父筑後入道妙恵(貞経)本領注文」として「宗像西郷」が含まれている(筑紫古文書追加/南北朝遺3312)。西郷が少弐氏の所領となっていたことがわかる。次に正平23年宗像宮年中行事には,8月15日の第一大神宮仏神事として「清酒神事 西郷久末役」があって,宗像社への社役を果たしていた(神道大系神社編宗像)。下って,明応9年4月4日の宗像社社領注文の「不知行在所」には,「筑前西郷三百町」が含まれている(余瀬文書/大分県史料26)。その後寛正2年3月10日に,河津弘業は「宗像郡西郷之内千寿丸陸町三段廿歩,石田丸六竹入壱町」を大内教弘から安堵され,寛正6年6月7日には「氷上山興隆寺領筑前国鞍手郡西郷内拾町代官職」に補されている(河津伝記/宗像郡誌中)。さらに,文明11年4月13日に,河津弘業は大内政弘から,「粕屋郡西郷福万庄内料所〈在宗卿家領〉代官職」に補されている(同前)。当郷は一時糟屋郡・鞍手郡に属したらしい。大内氏滅亡後,河津氏は宗像氏に属しており,年未詳であるが11月6日に河津隆家は宗像氏貞より「当社領福万庄西郷内,隆家私領分代官職」を預け進められている(同前)。この他,長禄2年11月25日,井原太郎は大内教弘から「筑前国宗像西郷内九町四段半,并高鳥居城料所,同国糟屋郡篠栗内弐町等」を安堵されている(井原文書/九州史学17)。このように,宗像西郷は室町期から大内氏の支配下におかれ,大内氏の料所家臣の知行地が置かれた。大内氏滅亡後は,宗像氏貞の支配が及んだと思われる。天正6年6月朔日の宗像第一宮御宝殿置札には,大友義鎮家臣に攻められ大島に逃れた宗像氏貞が,永禄3年3月28日に許斐要害を奪還し,旧本領を回復した中に「西郷」が見える。しかし,永禄12年,大友義鎮と宗像氏貞の和睦に際し,「若宮西郷事,暫時有御上表可被成御追訴之由,御入魂之間,先以被応其儀畢」とあるように,「若宮西郷」が大友方に割譲されている(神道大系神社編宗像)。なお,天正15年6月28日の太宰府安楽寺天満宮領坪付には,「宗像西郷内五郎丸 一所拾町 長日護摩料所 勾当坊知行分」などがあったことが知られる(博多史料8)。近世の上西郷村・下西郷村が遺称地。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215163