柳川街道
【やながわかいどう】
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久留米と柳川を結ぶ街道。慶長年間,筑後国主田中吉政により柳川本城と支城である久留米城を結ぶため新規に築造された軍用道路で,直線コースをなしている。この街道は三潴町以南では筑後地方特有のクリーク地帯を通過しており,道路の両側には堀を設け,有事の際には道路を破壊して敵の攻撃に備えた。また,広野のため,道筋に人家がなく,旅客の不便もあり,近傍農村から人を集め,津福町・目安町・山野町・田川町・土甲呂町・大角町・横溝町・金屋町・下田町などの諸集落を街道筋に造り,住人には諸公役を免除し,優遇した。現在の県道久留米・柳川線はこの柳川街道の道筋を踏襲したものである。
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![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7215373 |