神辺村
【こうのえむら】

旧国名:肥前
(近世)江戸期の村名。杵島(きしま)郡のうち。白石(しろいし)平野,六角川南岸に位置する。佐賀本藩領。須古郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに698石余,「天保郷帳」では873石余,「旧高旧領」には見えない。近世初頭竜造寺信周が須古城に居を構えて以来,須古鍋島氏の知行地となる。給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では鍋島市兵衛436石余,「大小配分石高帳」では鍋島安房436石余。むかし妻山神社の祭祀器を造って奉納する部曲の民が居住していたためこの名ができたという。もと神戸と書いたがいつしか戸が辺になったと伝える(白石町史)。村内には奈良期から平安初期にかけての条里制遺構が残存する(同前)。佐賀本藩は永池・焼米(やいごめ)の両溜池を築造し白石郷の灌漑の便を図った。このとき配水路が当村と大詫間村を通過するため東西490余間・南北60余間の土地を召し上げて,白石郷今泉村に編入し今泉切地と称した。焼米溜池からの配水堀は夫婦(みゆうと)堀と名づけられている。今泉切地によって当村と馬田村は須古領からの飛地となったため夫婦堀から白石郷へ送水する間が遮断されて,嘉瀬川・船野両溜池の水は馬田村と当村に送水できず,しばしば干害を受けた(須古片影)。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに馬洗(もうらい)村の枝村に見える。「明治11年戸口帳」によれば,馬洗村のうちに「神辺村」と見え,戸数43・人口213。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7216913 |





