下中杖遺跡
【しもなかつえいせき】

神埼(かんざき)郡三田川町大字豆田字一の坪,外柳,風呂前ほかにまたがる遺跡。背振山地から南へ派生した二塚山丘陵が平野部にいどむ位置に存在する墓地,集落跡である。周辺地区の圃場整備事業に伴って,佐賀県教育委員会が予定水路部分と削平される畑地部分の発掘調査を実施した。墓地はそれぞれ甕棺墓と土壙,木棺からなる弥生時代前期から中期の一群と中期~後期の一群が約500mの距離をもって存在している。集落跡は広範囲に存在し,往時大規模な集落であったことを物語っている。弥生~古墳時代の竪穴住居跡18軒以上,奈良~室町期にわたる掘立柱建物57棟以上,井戸跡75基以上,その他土壙,溝などが検出されたが,特に平安~鎌倉期の掘立柱建物の中には大規模な建物がいくつか存在し,官衙的な集落であったと推定できる。遺物も貴重なものが多く,平安期以降には,土師器・須恵器・黒色土器などに伴って,唐~明代にわたる青磁・白磁が大量に出土したが,中でも唐代末のいわゆる越州窯青磁の一括出土は注目される。その他重要な出土品としては,木製馬鞍(前輪),青銅製箸,緑釉陶器がある。神埼郡一帯は,古代末期には神崎荘と呼ばれる皇室領荘園となっており,有明海を通じた中国との貿易も行われた所であり,当遺跡が古代中世地域史研究に占める役割は大きい。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7217204 |





