大門村
【だいまむら】

旧国名:肥前
(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。大間村とも記す。城原(じようばる)川左岸の平坦地に位置し,北に永歌村があり,南に自然発生の堀が広がる。最大の大門堀は南北に5条,東西に5条,幅5間から13間で長さ1,057間に及ぶ。地名の由来は,伝説に往昔櫛田宮の大門があったことによるという(神埼郡郷土誌)。また,古城跡と称すところに大門の地名が残る(神埼郡村誌)。蓮池(はすのいけ)藩領。嘉崎郷に属す。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」で351石余,「天保郷帳」では360石余。「旧高旧領」には見えず。天保期の戸数23(御祓配帳)。江戸中期に蓮池藩の砲術訓練場が設けられ幕末まで使用された(蓮池日史略)。城原川の氾濫によりたびたび被災,特に寛政5年には農地を放つものさえでた(神埼町史)。神社に若宮明神・天満宮・荒人神があり(天台宗由緒),ほかに安永4年銘の三界万霊地蔵尊がある。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」とも永歌村の枝村と見える。「明治11年戸口帳」には永歌村のうちに「大門村」と見え,戸数34・人口161。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7217449 |





