100辞書・辞典一括検索

JLogos

51

東道免村
【ひがしどうめむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。小城藩領。平吉郷に属す。福所江(堺川)の右岸,下古賀村の南方に隣接した農村で,南北朝期に成立した集落と考えられる(芦刈町史)。「正保国絵図」に新開村,「元禄国絵図」に新ケ江村(村高はともに450石余)とあるのが,当村ではないかと考えられる。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」には小村に東道免新村がある。文化8年の小城郡平吉郷図によれば,南北に7本の大水濠がはしる環濠集落をなす。同11年の小城郡里郷之図では勝屋・木嶋溝両井樋筋掛の村で,82町余・642石余と付記されている。天保6年の小城郡里四郷絵図では戸数75・人口394。嘉永6年の平吉搦絵図によると南部松土居の外側に築造された沖新搦の西半も当村域となっている。鎮守は天子神社・太神宮・天満神社。寺院は浄土真宗本願寺派祐山庵。文化8年の小城郡平吉郷図によると当村の南方に新村が記され,東西に延びる2本の水濠の各南側に沿って集落が形成されている。享和元年写の御領中郡村附にも当村に新村を付記している。天保6年の小城郡里四郷絵図には東道免永田ケ里とある。「明治7年取調帳」では中溝村の枝村として,「郷村区別帳」では1村として見え,枝村に西道免村・舎人(とねり)村があり,反別231町余。「明治11年戸口帳」では道免村のうちに「東道免村」と見え,戸数34・人口148。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218350