井牟田
【いむた】

旧国名:肥前
昔は俗に「ゆみた」といい,弓田の当字例(日本九峰修行日記)もある。島原半島首部に位置する。集落は上名と下名とに分かれ,当地は上名から起こったもので,下名は近世干拓の進展に伴い上名から分かれて形成された。上名は小盆地をなし,周囲の丘陵は高いもので300mに満たない。中央部の水田地帯が古くは湿地であったといい,地名もこれによるか。この付近から長野一帯にかけて,長野村の地頭職をめぐる相論があり裁許した文永元年5月10日の関東下知状案にある「井牟田」も下地中分の対象となっている(宗像神社文書/鎌遺9093)。東は星ケ原高地が唐比(からこ)との間にあり,北は蓮華石岳,獅子喰食岳の両山があり,その間を下ると下名がある。干潟干拓による水田は北部に展開する。
【井牟田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【井牟田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7219545 |





