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金屋町
【かなやまち】


旧国名:肥前

(近世~近代)織豊期~現在の町名。江戸期は長崎内町の1町。船手に属した。長崎港に注ぐ岩原川河口左岸に位置する。享和2年の長崎絵図によれば,長崎の北西部に位置し,町並みは東西に延び,東は舟津町,西は本五島町に隣接していた。天正13年から文禄元年の間にかけて開かれたと思われる。天正16年豊臣秀吉の直轄領となり,他の内町22町と同様に地子が免除された。町名の由来は,金属を取り扱う業者が開いたことによるものと思われる。当町には寛永年間頃から魚市場が設けられていたが,外町の開発整備によるものであろうか,慶安年間に今魚町に移転した。寛文3年の町の長さ170間・家持31(寛宝日記),同12年の町の長さ127間,実箇所数31余,諸役御免箇所3(県史対外交渉編),文化5年の長崎市中明細帳によれば坪数1,540坪余(地子銀免除),箇所数33余,竈数84,戸数101・人数232(男124・女108)。乙名職は,明暦2年頃は太田勘左衛門であったが,以後は,松田九左衛門(宝永年間)が任じられて以来,甚助(宝暦2年頃),九左衛門(宝暦~明和年間),次兵衛(天明~寛政年間),市次郎(享和~文化年間),又左衛門(天保~嘉永年間),仙蔵(安政元年~慶応4年)と,松田家が世襲した。明治11年長崎区,同22年長崎市に属す。昭和3年の戸数75,同10年の戸数77・人口354,同50年の世帯数169,9街区。昭和38年堀町・今町と五島町・興善町・船津町・小川町・豊後町の各一部を編入。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7220177