北諫早村
【きたいさはやむら】

(近代)明治22年~大正12年の北高来(きたたかき)郡の自治体名。島原半島の基部,本明川中流左岸に位置する。五家原岳南麓の台地や本明川の支流域に立地する。下本明・栄田・福田の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。下本明に本明名・輪内名・目代名,栄田に永昌名・栄田名,福田に福田名の行政区がある。明治27年下本明の輪内名に役場を新設。地名の由来は諫早町・諫早村の北に位置することによる。明治24年の戸数841・人口4,304(男2,088・女2,216),寺院7,学校3,水車場12,大船2・小船1(徴発物件一覧表)。世帯数・人口は大正9年1,038・5,201。明治38年3月北諫早村・諫早村・諫早町の3か町村組合立の小学校を廃し,同年4月北諫早尋常小学校を設置,旧校舎が腐朽したため同40年3月9日輪内名字西金谷久保に新築。同年農業補習学校(修業年限3年),同41年村立裁縫女学校(修業年限2年)を付設した。明治40年下本明小学校(創立明治9年)と目代尋常小学校(創立明治8年)を廃校,合併して下本明本明名丸尾に校舎を新築し,丸尾尋常小学校と称した。明治31年11月26日九州鉄道門司~長崎間が全通し,栄田永昌名に諫早駅が開設。同35年頃の諫早駅付近の地図によると駅前には1軒の家があるだけで周囲は一面の水田であった。また同44年6月20日島原鉄道諫早~愛野間が開通し,2年後の大正2年9月には島原湊(現南島原)まで延長された。この結果諫早駅は長崎・大村・佐世保,さらに島原半島を結ぶ県下の陸上交通の中心地,物資の集散地としての地位を高めた。大正4年の「長崎県大観」によれば,戸数970・人口5,397,北諫早尋常小学校・丸尾尋常小学校の児童数は合わせて940(男471・女469),官公署には村役場・九州鉄道諫早駅,神社は天満神社・熊野神社・平松神社・福田神社・年神社,寺院には安勝寺・蓮光寺・本清寺・正応寺・慶岩寺・正福寺・安祥寺があった。また特産物として米5,820石・麦2,553石・大豆91石・甘藷2万8,801貫,名勝旧跡として慶巌寺が記される。同6年の産業別戸数は,農業739(専業563・兼業176)・林業150(兼業のみ)・養蚕業298(専業2・兼業296)・工業137(専業100・兼業37)・商業137(専業100・兼業37),反別は田332町9反余・畑454町8反余・山林407町1反・原野205町9反,主な農産物の産額は米16万6,320円,麦5万2,540円,粟・蕎麦ともに3万2,280円,甘藷2万2,020円,寺院7,小学校2,農業補習学校2,村立裁縫女学校1,澱粉製造所1,綿織物工場1,製網所1があった(北高来郡誌)。大正12年諫早町に合併し,村制時の3大字は廃止,各行政区は同町の行政区に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7220376 |





