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北馬町
【きたうままち】


旧国名:肥前

(近世)江戸期~明治5年の町名。長崎外町の1町。陸手(おかて)に属した。長崎港に注ぐ中島川下流右岸に位置する。寛文12年馬町から分離して成立した。享和2年の長崎絵図によれば,長崎の北東部に立地し,町並みは長崎街道(諫早(いさはや)道)の北側に東西に延び,東は橋を経て新大工町,西は勝山町に隣接していた。寛文12年の町の長さ175間,実箇所数50,諸役御免箇所3(県史対外交渉編),文化5年の長崎市中明細帳によれば,坪数2,952坪余,箇所数52,竈数91,戸数127・人数312(男145・女167)。陸手町が通常長崎奉行など公用で旅行する人達に人夫などを供給したのに対して,当町は南馬町と1年交替で馬35疋を供給した。乙名職は,明暦2年頃は内田藤兵衛,延宝元年は高野五郎右衛門,享保年間は高野半助であったが,寛保年間の庄右衛門の時に高石と改姓,さらに恒次郎(安永~文化年間)と続いたが,文化年間に中村百五郎が任じられてからは,三郎右衛門(天保年間),幸之進(嘉永年間),六三郎(万延元年~明治元年)と中村家が相続した。明治5年馬町の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7220378