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下県郡
【しもあがたぐん】


旧国名:対馬

対馬国・長崎県の郡名。対馬の南部を下県と称し,北部の上県と対称。県とは古代王朝の県制によるもので,「古事記」および「旧事本紀」に津島県直が見え,「日本書紀」顕宗紀3年条には対馬下県直の所伝がある。律令制の頃には上県(かみつあがた)と下県(しもつあがた)の2郡があり,郡界は浅海(あそう)(浅茅)という内海を境に南を下県郡とされていた。郡には両方共に直(あたい)と称する郡領がいて,一族は卜部(うらべ)であった。
(古代)「日本書紀」顕宗天皇2年4月朔庚申(5日)条に見える対馬下県直が,大和の磐余【いわれ】の田を献られた高皇産霊の祠に侍えたという所伝は,畿内王朝の重要祭祠に対馬の古族が関与していたことを示唆するものとみられている(対馬の古文書/九州文化史研究所紀要1)。
(中世)古代の下県郡域を中世では下津郡・下郡【しもつごおり】と称したようである(下津八幡宮文書)。
(近世)江戸前期までは中世以来の変則的な8郡(豊崎郡・佐護郡・伊奈郡・三根郡・仁位郡・与良郡・佐須郡・豆酘郡)で区分することが多かったが,元禄12年8月3日に8郡を廃して郷と称することになり,以後は当郡と上県郡の2郡に分け,その中を8郷に区画することになった。
(近代)明治11年~現在の郡名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221096