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津波見名
【つばみみょう】


(近代)年不詳~現在の行政区名。明治22年加津佐村,昭和3年からは加津佐町のうち。甲ともいう。江戸前期の正保2年肥前国高来郡之内高力摂津守領分図に加津佐村のうちとして津波見村328石余と見える。津波見小学校は明治16年野田小学校津波見分校として設立。同19年簡易津波見小学校と改称し,同26年津波見尋常小学校と改称して現在に至る。八幡社・多良神社があったが,明治42年水月名の温泉神社に併合された。海岸の両子岩付近は古代生物化石層で有名でナウマン象の化石などが出土する。寛政4年島原眉山の崩壊は地震・出水・津波を起こして多数の死傷者を出し,「島原大変,肥後迷惑」といわれる災害をもたらしたが,この時の流死者を供養した寛政流死人供養塔が権田海岸にある。また,孝子安永安次の墓と頌徳碑,孝子田の石碑がある。安永安次は延宝年間に津波見名の乙名を勤めた人で,時の領主松平忠房はその孝行ぶりを賞し,延宝7年に銀3枚を与え,翌年には諸役夫代免除し,元禄2年にも表彰して米5俵を贈った。さらに藩侯は幕府の儒臣林大学頭整宇に委嘱して孝子安永安次伝を書かせ,のち「本朝孝子伝」に二十四孝の1人として所載された。安次は宝永5年4月24日に死去したが,この4月24日は今日に至っても孝子祭として津波見小学校全児童および町内各界の人々により盛大に挙行されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221722