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早岐駅
【はいきえき】


国鉄佐世保線と大村線の駅名。所在地は佐世保市早岐町。明治30年開設。佐世保駅発着の列車はこの駅で進行方向が逆向きとなる。明治21年9月に九州鉄道が九州において敷設工事に着手すると,県内でも長崎~佐世保間に鉄道を建設し早岐で九州鉄道に接続させようという運動が起こった。明治30年7月10日九州鉄道門司~早岐間が開通。翌31年1月20日早岐~佐世保間と早岐~大村間が同時に九州鉄道として開通,さらに同年11月27日長崎まで延長され,のちこれらの路線は国鉄に編入され,佐世保線・長崎本線と称した。鉄道とともに海上交通も発達,崎戸炭鉱や松島炭鉱を結ぶ九州汽船早岐板浦線や早岐五島線,平戸や西彼(せいひ)への航路が早岐港に集中,当駅は新興の炭坑地帯や農漁村と中央を結ぶ駅となった。だが佐世保市が第1次大戦後の軍縮不況で軍港都市から地方中核都市への脱皮を目指して交通路の充実に乗り出し,早岐港はその役割を佐世保港に譲った。また昭和9年に有明海沿岸を経由する有明平坦線が開通して長崎本線に編入されたため,従来長崎本線の一部であった肥前山口~早岐間は佐世保線に編入,早岐~諫早(いさはや)間は大村線となったため,当駅は佐世保線と長崎本線の接続駅から,佐世保線と大村線の接続駅にかわった。有明平坦線の開通により,それまで当駅を経由していた長崎行の列車は肥前山口から直行することになるので,これに先立つ昭和8年,一・二等待合室を駅長室に改装した。戦争の激化とともに乗降客は急増,昭和17年は1日平均1万2,475人を記録した(大正14年2,117人,昭和56年2,520人)。海上交通路との結びつきをなくして以後の早岐駅は佐世保線・松浦線・大村線の中心として運輸長室・機関区・車掌区・客貨車区・保線区・建築区・信号通信支区・電力支区・情報支区・鉄道病院・診療所・公安室・物資部配給所・労組書記局・官舎などが集中した。また商圏を佐世保にとられた早岐の商家の子弟は鉄道で働くようになり,早岐は鉄道の町といわれたが,自動車の普及による昭和50年代の合理化で,大幅に減少した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222260