宗方
【むなかた】

旧国名:肥前
宗像・宗形とも書く。島原半島の基部,諫早(いさはや)湾(有明海)に注ぐ本明川の支流川床川の上・中流域に位置する。北東部に金比羅岳がある。北部長野川・宗方川流域の低地は,宮崎・干場などの地名から古くは海岸線が湾入していたと思われるが,自然陸化によって早くから水田化していたのであろう。宗方川の流域から北部の山麓に接する低地は,一の坪・三の坪・四の坪・五の坪などの地名があり,条里制遺構であることを示している。当地には,古代から宗方神社があり,貞観13年4月3日「肥前国宗形天神」に従五位下を授けられ,貞観15年9月「肥前国従五位下宗形神」に,従五位上を授けられている(三代実録)。地名の由来も宗方神社にちなむものであろう。宗方神社付近は小野山麓部の複合遺跡の一部をなしており,宗方神社には古墳の蓋石と思われる扁平な自然石が2か所にあって腰掛石として使用され,ほかにも縦2m程の巨石が散在している。文永元年5月10日の関東下知状案によれば,宗方神社のある長(永)野村は古くより筑前の宗像大宮司支配地であったようで,文永元年地頭職をめぐって宗像大宮司氏業と長野小太郎氏郷(氏業の弟で土着して長野姓を称す)が争い,長野村を中分して長野川以東を氏業分として領知させている(宗像神社文書/鎌遺9093)。長野川は現在は長野の山麓寄りを流れているが,当時は長野と宗方のほぼ中央を流れていたと思われる。宗方神社の祭神は天御中主神・大己貴命・少彦名命で由緒沿革は不明。御神体はもと金の御幣であったが,いつの頃か紛失したらしい。宗方城跡は宗方上溜池の西方にあり,標高120mの台地に土塁・石垣・空濠などがある。城としての記録はないが,関係地名として古屋敷・小倉・山の木(柵か)などがある。中世の山城の跡であろう。
【宗方村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【宗方(近代)】 明治22年~昭和46年の大字名。
【宗方町(近代)】 昭和46年~現在の諫早市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7223122 |





