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朝日村
【あさひむら】


(近代)明治22年~昭和31年の上益城(かみましき)郡の自治体名。阿蘇外輪山南麓,緑川支流大矢川右岸に位置し,高千穂野・天神峠から南へ傾斜する高原地帯が続く。川口・井牟田・江野原・安方・仏原・大平・高月・鶴ケ田の8か村が合併して成立。川口・井無田・郷野原・安方・仏原・大平・高月・鶴ケ田の8大字を編成。役場を高月に設置。明治24年の戸数457,人口は男1,043・女1,018。全村ほとんどが山林で,林産物の生産も多い。地名の由来は,北部の高千穂野から東部を朝日,西部を夕日と称していることによるという(上益城郡誌)。農業を主とするが,明治34年10戸余の養蚕組合ができ,飼育研究を行ったものの,昭和初期より煙草耕作が始まるにつれて衰微し,昭和3年製糸工場も途絶した。畜産は,明治27年牛馬改良組合が作られ,同31年には牛馬セリ市場を開設,同32年高月に種馬所を設置。種馬所は昭和18年に廃止されたが,セリ市場は昭和50年代まで続けられた。明治36年朝日郵便局が開局。昭和6年電信電話業務を開始。井無田簡易郵便局は昭和24年に開局。明治35年仏原・大平の両小学校を統合し朝日南部小学校が発足,昭和31年清和小学校となる。昭和22年朝日南部小学校に朝日中学校を設置し,朝日北部小学校内に分校を設け,同24年高月に独立。同47年清和中学校に統合。大正12年北部開拓地を除き電灯布設。明治32年頃開通した熊本~延岡(宮崎県)を結ぶ道路が開発され,大正8年頃までは不定期の乗合馬車であったが,それ以降乗合自動車となり,昭和15年に熊本~馬見原間に定期バスが運行開始(清和小百周年記念誌)。明治37年頃の主要産物は米2,500石・麦400石・粟650石・大豆100石・玉蜀黍600石・木材5万石・茶300斤などがあり,村外からの移入品には石油・糸類・食塩・砂糖・反物などがあった。大正4年頃の戸数488うち農業436・工業22・商業23,人口2,321うち男1,122・女1,199,田208町・畑740町・宅地1万1,377坪・民有林345町・民有原野151町,産物は米3,847石・麦558石,馬711・牛1,102(矢部郷土誌)。世帯数・人口は,大正9年542・2,509,昭和10年531・2,700,同25年620・3,354,同30年653・3,632。昭和31年清和村の一部となり,8大字は同村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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