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牛深港
【うしぶかこう】


天草下島最南端の牛深市牛深町岡東にある港。県管理の地方港湾(昭和40年10月22日設立),県下唯一の第3種漁港(昭和29年9月7日指定)でもあり,港湾区域と漁港区域が重複する全国でも数少ない港湾の1つ。牛深港の湾曲した形が水の字に似ることから,水字湾とも称する。県下最大の漁業基地で,明治期にはカツオ漁が盛んに行われ,大正10年頃はイワシの豊漁が続いた。漁法は刺網漁と縫切網漁であったが,小規模漁業の刺網漁は衰微し,縫切網漁に転換していった。昭和8年には巻網(巾着網)船団が登場。戦後はイワシの豊漁が続き,同25年には58統の船団が牛深港にいたが,同年をピークに水揚高は漸次減少,同27年50統,同37年16統,同55年9統となり,現在は大中型巻網船団は7統,中型巻網船団は7統。巻網船団は本船(網船)1・母船(運搬船)2・灯船2・網引船(レッコウ母船)1の6隻からなり,大中型は本船が40~70t,乗組員50~60人,中型は本船が5~40t,乗組員30~40人。同57年の巻網船団の年間水揚高は40億円。牛深港ではイワシ・アジ・サバの大衆魚類が水揚げの92%を占め(昭和59年),タイ・ブリ・マグロ・シイラなども漁獲される。昭和26年第1次漁港整備事業が始まり,現在第6次事業が進行中で,水揚荷捌施設(2,928.28m(^2)),製氷施設2(製氷能力は日産75t),冷凍冷蔵施設,魚箱倉庫が完備する。牛深漁民の牛深ハイヤ節はハイヤ節系民謡のルーツという。昭和30年代までは,本渡市・宇土(うと)郡三角(みすみ)町・水俣市・鹿児島県阿久根市・長崎県長崎市との間に定期船が通ったが,天草五橋開通後は減少し,現在は水俣港や鹿児島県長島町の蔵之元港との間に就航。同58年の乗降客数24万5,693人(乗込客12万3,138・上陸客12万2,555),貨物は移出量2万9,565t・移入量13万4,229t,自動車航送車両11万215台(バス1,638・トラック2万6,883・乗用車8万1,694)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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