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大多尾①
【おおたお】


旧国名:肥後

三ノ岳の北東部,井芹川の支流西谷川が形成した開析谷一帯に位置する。地名の多尾は峠・尾根・連峰を指し,大きな山の鞍部の意と考えられる。三ノ岳にある天台宗聖徳寺安楽院は,聖徳太子の三岳山登山を記念して開基されたと伝え,室町期には菊池氏から寺領の寄進を受け,寺の権勢は飽田・山本・玉名の3郡にも鳴り響いたという(肥後国誌)。地内に室町後期のものと思われる六地蔵がある。相良系図のうち,内田氏の祖頼重の項に「内田家祖,称内田相良,子孫徙飽田郡活亀荘大多尾村」とあり,相良氏の分流山井名相良氏の系統である内田頼重が当地に入部したことがうかがえる(続群6下)。承応元年12月の三名字建立寺社書立(田尻文書/県史料中世2)によれば,地内の曹洞宗三岳山浄正寺と春日大明神社は内田氏が建立したという。内田氏は内田寄合衆を構成し,はじめ菊池義武に属したが,のち大友義鎮に従い,田尻・牛島氏とともに山上三名字衆を結成して,大友氏の肥後目代小原鑑元と寄親・寄子関係を結んだ。内田氏の所領については,大友義統の袖判のある山上内田知行目録写(同前)から,南は託麻郡河尻(現熊本市川尻町)・近見(現熊本市近見町),北は玉名郡伊倉(現玉名市伊倉北方・伊倉南方),西は飽田郡砂原(現熊本市砂原),東は鹿子木荘などの範囲に散在し,その給人数が内田和泉守以下17名に及んでいることがわかる。
大多尾村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
大多尾(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7224080