郡浦
【こおのうら】

旧国名:肥後
宇土(うと)半島南西部,郡浦川流域に位置する。打越貝塚のほか,古墳時代の石障系横穴式石室をもつ古墳がある。山田里・打越里・矢崎里・郡浦里などの条里地名も残る。古城跡には馬場城山に貞和2年の築城と伝える郡浦城,矢崎にも矢崎城があり,遺構が残る。なお江戸期の郡浦村の小村として見える山田村・矢崎村については,応永11年10月10日の肥後郡浦庄地検帳(阿蘇文書/大日古13‐1)のうちに,「山田二坪六段東福寺免」「〈本〉矢崎一坪一段内〈不一丈 乍四丈〉」などと見える。また矢崎城については,「長谷場越前自記」に「天正八年辰十月十五日,矢崎の城へ軍兵を被指向折節に,天之瑞相を被示て,薩摩方より数百艘の兵艘を被上せ」とあり(旧記雑録後編1),天正8年の島津氏の肥後攻略の際に落城したことが知られる。
【郡浦荘(中世)】 鎌倉期~室町期に見える荘園名。
【郡浦村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【郡浦村(近代)】 明治22年~昭和30年の宇土郡の自治体名。
【郡浦(近代)】 明治32年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7225150 |





