下陳
【しもじん】

旧国名:肥後
阿蘇外輪山南西部に広がる益城(ましき)台地の南西部,城山に源を発する木山川の支流金山川が,熊本平野に出る地域に位置する。津森層はヒシの実などの植物化石を産し,その上の下陳巨礫層からは地下水が湧出する。金山川上流には黄銅鉱・黄鉄鉱が広く分布し,津森銅山跡がある。地内に阿蘇家臣光永惟宗とその弟惟純が居城し,天文20年大友義鎮により攻め落とされたという下陳城(津守城)がある。地名に関しては戦国末期に城館があったことにちなむものと思われ,城山・小路・園などの字名が残るほか,堀切・土塁などの遺構がある(城郭大系18)。千光寺竜池山普門院境内に光永惟助古墳,津守城跡には阿蘇大宮司墳墓がある(肥後国誌)。なお三竹の池は当地の用水として利用される。
【下陣村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下陳(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7225601 |





