下松求麻村
【しもまつくまむら】

旧国名:肥後
下松求摩・下松求磨・下松隈とも書く。九州山地南部,球磨(くま)川下流の山間部に位置する。地名の隈は山間のくぼ地で辺境を意味し,松の美称による呼び名か未詳。なお地内の和泉は,古くは今泉と称す。今和泉は戦国期の,「八代日記」永正9年12月10日条には「加世様(長毎)今和泉御陰(隠)居」とあるのを初見とするが,「肥後国誌」は同12年のこととしている。相良長毎は家督を長祗に譲って休也斎と号し,当地に竜成寺を建立して隠居したという。なお年未詳9月6日付の足利義稙御内書(相良家文書/大日古5‐1)の捻封ウハ書に異筆で「永正十二年乙亥十一月廿六日於八代今泉到来」とある。また「八代日記」永禄元年4月20日条に「降鑑大矢野ヤナキニ御着之由申候,志岐より廿五日ニ八代徳淵ニ御着候,五月二日今和泉ニ御登候」と見え,同じく翌2年4月9日条に「人吉ヨリ則直さまニ御使者東民部左衛門尉方,今泉まて麓ニハくたり候ハす候」とあり,当地が相良長毎逝去後も使者接待の場として重用されていたことがわかる。なお地内には県史跡の今泉製鉄跡がある。
【下松求摩村(近世)】 江戸期~明治9年の村名。
【下松求麻村(近代)】 明治13~22年の村名。
【下松求麻村(近代)】 明治22年~昭和36年の八代郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7225691 |





