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繁根木八幡宮
【はねぎはちまんぐう】


玉名市繁根木にある神社。旧郷社。祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。社伝によれば,応和元年に紀国隆(一説に紀隆村)が山城国石清水八幡宮を勧請し,大野荘250町の鎮守社とした(国郡一統志・肥後国誌)。はじめ一本榎(旧下大野村野口二丁分)にあったが,のち中村春出に移し,さらに現在地へ遷宮したと伝える。正平24年に大願主道智,勧進吉行によって梵鐘が施入されたが,この鐘は文禄5年肥前国河上宮(現佐賀県佐賀郡大和町川上の与止日女神社)に奉納され,さらに佐賀市水ケ江1丁目の曹洞宗宗竜寺へ移った(日本古鐘銘集成)。天長元年創建と伝える天台宗繁根木山寿福寺を神宮寺とする(肥後国誌)。応永17年11月8日に高瀬武楯は当宮の御灯供僧社人・社家役人を寿福寺座主の計らいとし(寿福寺文書/県史料中世1),翌年3月16日には臨済宗清宗寺に任せていた当宮の仏餉田と朔幣田をもとのごとく寿福寺に安堵した(森文雄氏所蔵文書/大日料7- 14)。応永21年10月8日に丹治念性は高瀬津往返の廻船の鉄物を寿福寺と当宮の修理料として寄進した(寿福寺文書/県史料中世1)。高瀬武楯は応永26年12月18日に放生会法施・引声念仏免として中村内の田3反,同32年7月18日には毎月朔日・15日の御供田として筑後国三池南郷藤田別府で田2町を寄進し,座主の神事履行を命じている(同前)。戦国期に大友氏・竜造寺氏・島津氏の玉名侵入により衰微したが,慶長2年加藤清正が修築(国郡一統志)。細川氏歴代も篤く崇敬した。明治10年の西南戦争では激戦地となったが,戦禍を免れた。神殿・拝殿,重層唐破風の楼門は壮麗。社殿は全面に木彫を施し,楼門天井には矢野雪叟筆の水墨雲竜が描かれ,桃山式社殿建築の遺構とされる。明治6年郷社となる。祭祀は25年ごとに行われる年季祭と,毎年10月28日・29日に行われる例祭がある。年季祭には応神天皇神輿を二丁分の数家,仲哀天皇神輿を春出の数家,神功皇后神輿を宮元の繁根木から輿丁が出てかつぎ,御旅所の一本榎まで御幸する。これは石清水八幡宮から当所への遷座の故事に基づく。10月の例祭に行われる節頭は,大野荘内8か村が順点番により3組の節頭組をつくり,化粧を施し美しく着飾り,神馬にまたがり,杓子持ちが杓子を振ると,歌に合わせて仲間が踊る。参道より社前に参入して南蛮御幣を神前に奉納し,歌に合わせて節頭踊りを舞い,村を回って節頭家へ帰る。なお社蔵の太刀宗広は県重文。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7227170