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東水越村
【ひがしみずこしむら】


旧国名:肥後

(近世)江戸期~明治7年の村名。上益城(かみましき)郡のうち。阿蘇外輪山南西に広がる益城低山地南部,水越川上流域に位置する。熊本藩領。村高は「旧高旧領」463石余,地米高で,奥村左衛門が150石余,片山自庵が53石余を知行していた(肥陽諸士鑑/肥後読史総覧)。「肥後国誌」によれば木倉手永に属し,高457石余,小村に赤松村・辻村・馬立村・石櫃村・榎園村・大内村・大野村・正子田村・犬山村・御坪村・栗山村・姫椿村などがある。田畑が少ないため,山主の山林の根払いや,牛馬による木材の搬出をしたという。なお文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高475石余,反別は田13町2反余・畑15町7反余,家数71・人数307,馬111・牛62(綾部家旧蔵文書)。明治初年頃の木倉手永手鑑(肥後国郷村明細帳2)では,竈数70,人数271,牛馬83。熊本県を経て,明治5年白川県に所属。同7年水越村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7227302