100辞書・辞典一括検索

JLogos

39

広見村
【ひろみむら】


(近代)明治22年~昭和29年の自治体名。はじめ山鹿郡,明治29年からは鹿本郡に所属。芋生・四町の2か村が合併して成立。芋生・四丁の2大字を編成。役場を芋生に設置。村の中央を岩野川が南流し,河岸を国道3号が走る。川の東部,浦方川流域に四丁,西部に芋生が位置し,山岳に遮られる。村名は,四町村の広見と称する地名をとったという。明治24年の戸数401,人口は男1,043・女1,025。世帯数・人口は,大正10年399・2,102,昭和10年365・2,062,同25年498・2,899。農業用水は,四丁は豊富であったが,芋生では常に不足した。字東野では,明治27年の大旱魃を機に,東野の池に谷川の水の導入を計画し,通水坑を掘って水不足を解消した。特産物は,和紙・生糸・木材など。同34年の製紙専業戸数は60,生産額は2,800貫で5,040円。養蚕は明治初年頃から始まり,明治34年の飼育戸数300。繭の生産高135石,価格にして5,130円。加工品としての生糸の生産量は110貫,4,400円で紙とともに現金収入源となっていた。大正8年の統計では飼育戸数155・収繭高421石余(鹿本郡誌)。林業では,材木・杉枝・炭・薪を生産。明治14年の国道開通などで荷車による搬出が可能となり,生産額の進展をみた。村内の芋生道(才野~浦方区間)の改修工事は,当村が工事を請け負い,大正6年に完成した。明治末年から大正初期にかけて,官有林払下運動を展開,村財政の基礎固めがなされ,同時に原野への積極的な植林も進められ,千数百町に及ぶ現鹿北町町有林の基礎が形成された。昭和29年鹿北村の一部となり,2大字は同村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7227446