上田丸名
【うえだまるみょう】

旧国名:豊前
(中世)南北朝期に見える名(みよう)の名。豊前国宇佐郡葛原郷のうち。正平19年9月日付の宇佐西山広化寺知事祖育申状に見える(益永文書55/県史料29)。祖育は「(宇佐宮)神領豊前国宇佐郡葛原郷上田丸名内泉尻白木田地口依壱段」などの安堵を申請,大宮司宮成公居の外題を得た。下って天正15年6月3日の宇佐大宮司宮成公基所領坪付に辛嶋郷分として「一所 上田丸五町 余田有之」と見える(宮成文書132/県史料24)。現在,宇佐市に大字上田があり,付近の辛島には白木の字があるところから上田が当名の遺名と考えられるが,天正15年の宮成公基所領坪付には「上田村」も見え,両者の関係は未詳。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7228942 |