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重国名
【しげくにみょう】


旧国名:豊後

(中世)鎌倉期~戦国末期に見える名(みよう)の名。豊後国大分郡稙田(わさだ)荘のうち。大分市南西部霊山(りようぜん)の北麓石川と推測されるが確証はない。「稙田系図」に,稙田氏4代有綱が長女佐伯女に譲ったと見えるのが初見。有綱は平氏の鎮西下向に当たり,臼杵・緒方氏ら一族とともに,源氏に味方し,これを追い落とし,その恩賞として稙田荘吉藤名・野津原郷を賜ったとあるが裏付け史料はない。「弘安図田帳」に,稙田荘325町2反内として,「重国名十五町三段,稙田八郎有綱跡,四条侍従殿知行,而当国住人長谷王入道信覚」と見えるのが史料の初見。なお三浦本には「買得之」の3字がある。この有綱が系図にある有綱と同一人物であるか疑わしい。後藤碩田は,有綱は大神惟基七子稙田七郎惟平四世孫と比定し,秋岡・田尻・霊山執行入念等の祖とする。四条侍従殿については,正二位権中納言顕俊卿四男権中納言親俊二男正五位下刑部大輔光顕に比定しようとしているが確証に欠け,疑問が多い。長谷王入道信寛については未詳とする(大友史料3)。終見は文禄元年3月の写である稙田荘名々給人注文で,重国名については,「廿七貫分寒田殿,五百分とうゐんはう内石河」と見える。この史料はおそらく天正年間のものと推測され,石河は霊山の北麓に所在する石川であろう(利光文書/県史料26)。なお石川は近世延岡領石川村となる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7230780