恒清村
【つねきよむら】

旧国名:豊後
(近世)江戸期~明治8年の村名。豊後国国東(くにさき)郡安岐(あき)郷のうち。国東半島東部,安岐川の支流両子(ふたご)川中流左岸の山間部に位置する。はじめ豊前中津藩(のち小倉藩)細川領,寛永9年木付藩小笠原領,正保2年木付(のち杵築)藩領,天和2年からは松平重長分知領となり両子組に所属。元和8年には両子手永に属し,長岡興長の知行地,村高236石余,家数31・人数106,牛14・馬2(小倉藩人畜改帳)。「正保郷帳」193石余,うち田160石余・畑32石余,「見稲簿」同高,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに481石余。明治4年大分県に所属。同8年富永村と合併,富清村となる。現在の東国東郡安岐町大字富清のうち。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7231831 |





