長野村
【ながのむら】

旧国名:豊後
(近世)江戸期~明治8年の村名。豊後国直入(なおいり)郡朽網(くたみ)郷のうち。岡藩領。大分川支流芹川上流域に位置する。はじめ長野組千石庄屋,のち同組大庄屋が置かれ,当村は江戸期を通じて長野組の中心地だった。小制札場が設けられていた(地方温故集付録)。村高は「正保郷帳」88石余,うち田64石余・畑24石余,水損がち。「見稲簿」「天保郷帳」88石余,安政6年の「長野組当御物成」では269石余,うち田111石余・畑100石余,物成は125石余。「旧高旧領」は232石余。寛文10年当村に藩の御茶屋が建築され,同12年鷺瀬(さぎぜ)に掛造御茶屋が建築,藩主がしばしば訪れ,桑畑(くわばた)村の葛淵温泉で湯治を行う長野湯治が行われた(中川史料集)。しかし茶屋は元禄15年の大洪水で流失(同前)。明治4年大分県に所属。同8年仲村ほか16か村と合併して長湯村となる。現在の直入郡直入町大字長湯のうち。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7232261 |





