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平田村
【ひらたむら】


旧国名:豊後

(近世)江戸期~明治8年の村名。豊後国速見(はやみ)郡竈門(かまど)荘のうち。平田川の流域に位置する。東は別府湾。はじめ幕府領,慶長6年豊前中津藩(同7年より小倉藩)細川忠興家臣松井康之預地とされるが(横灘(よこなだ)地方村方史料・豊後御越(おこし)町志など),「松井文書」には記録がない。元和2年日田(ひた)藩領,寛永10年杵築藩預地,同11年亀川藩領,万治元年幕府領,寛文5~6年肥後熊本藩預地。天和2年日田藩領,貞享3年から幕府領で横灘北組11か村に属する高松代官所(現大分市)支配地。この間寛保2年~延享4年小倉藩,寛政11年~慶応3年肥前島原藩,慶応3~4年熊本藩預地。村高の初見は「正保郷帳」で274石余,うち田141石余,「見稲簿」328石余,「天保郷帳」331石余,「旧高旧領」333石余。土地はやせ気味のため品質の劣る赤米を栽培する田が多かった。江戸中期頃から七島藺の栽培が盛んになった。文化7年2月11日と翌8年1月5日に伊能忠敬一行が当村を測量(九州測量日記)。同10年森藩領鶴見村の花棚山への入会をめぐって争論が起こり,翌年に森藩が交付する山札(やまふだ)を所持する者の立ち入りを認めること,山札を受け取るにあたって鶴見村に1枚につき銀2分を納めることで解決。この時村全体で受け取った札は28枚,うち3枚は無償であった(御記録書抜)。村内には黄檗宗観音寺がある。明治4年大分県に所属。同8年亀川村に合併。現在の別府市大字亀川のうち。
平田町(近代)】 昭和42年~現在の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7232997