古市村
【ふるいちむら】

旧国名:豊後
(近世)江戸期~明治8年の村名。豊後国速見(はやみ)郡竈門(かまど)荘のうち。冷(ひや)川の南流域に位置する。東は別府湾。地名から古くは市が立っていたことを思わせるがその確証はない。慶長6年から豊前中津藩(同7年より小倉藩)細川忠興家臣松井康之預地とされるが(横灘(よこなだ)地方村方史料・豊後御越(おこし)町志など),「松井文書」には記録がない。元和2年日田(ひた)藩領,寛永10年杵築藩預地,同11年亀川藩領。万治元年幕府領となり,寛文5~6年は肥後熊本藩預地。天和2年日田藩領,貞享3年から幕府領で横灘北組11か村に属する高松代官所(現大分市)支配地。この間寛保2年~延享4年小倉藩,寛政11年~慶応3年肥前島原藩,慶応3~4年熊本藩の預地。村高の初見は「正保郷帳」の159石余,うち田127石余。「見稲簿」160石余,「天保郷帳」207石余,「旧高旧領」208石余。土地はやせ気味のため品質の劣る赤米を栽培する田が多かった。江戸中期頃から七島藺の生産が盛んになった。「両豊海上行嚢抄」には「遠干潟」とあり,元禄頃はここの海岸が遠浅の砂浜であったことがわかる。この砂浜からは温泉が湧出し,干潮時には砂湯が行われた。文化4年に当地を訪れた脇蘭室は「底より熱気加わりて快適なり……温泉中の佳境とすべし」と絶賛している(菡海漁談)。同7年2月11日と翌8年1月5日に伊能忠敬一行が当村を測量(九州測量日記)。幕末頃に医者の藤野玄雄の開いた読書・習字寺子屋があった。明治4年大分県に所属。同8年内竈(うちかまど)村に合併。現在の別府市古市町のうち。
【古市町(近代)】 昭和42年~現在の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7233167 |





