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靱編郷
【ゆぎあみのごう】


旧国名:豊後

(古代)奈良期~平安期に見える郷名。豊後国日田(ひた)郡のうち。「豊後国風土記」にいう日田郡5郷の1つ。「和名抄」は「父連」とする。「叉連」の誤写と見るべきである。叉は靫や靱に通じ,連は編に音訓が通じる(豊後風土記新考)。「豊後国風土記」は当郷を郡の東南にありと説く。そして,欽明天皇の代に日下部君(くさかべのきみ)の祖である邑阿自(おおあし)が靱部(ゆぎべ)に仕えていた。その邑阿自が宅を造って住んでいたところを靱負村と言った。のちに「靱編郷」と呼ばれるようになったという。天平9年の「豊後国正税帳」断簡のうち日田郡の記載と考えられるところがある。郡司の連署が見えて,「正領外正七位上勲九等日下部連吉嶋,少領外従七位上勲十等日下部君大国,主張外少初位上勲十等日下部君〈死〉」とある。邑阿自の伝承には充分根拠があったものと思われる。靱編郷域を中心に,大化前代の5世紀後半もしくは6世紀から,靱部や靱編として朝廷に仕える部民などを日下部君が掌握していたらしい。郷域は日田盆地の東南で,玖珠川そして三隈川の北岸流域に当たる。日田市大字日高に通称刃連(ゆきい)の名が残る。川の氾濫で消滅した可能性があるとはいえ,当郷域の現田島町や豆田町には条里遺構がよく伝えられ,刃連にも一部残っている(九州天領の研究)。大化前代からすでに当郷は日田郡の中心的な役割を果たしていたと考えられ,郡家を大字田島付近に求める説も存在した(亀山抄)。しかしその位置比定未詳のままで,最近では日田市大字三和の小字郡町(こおりまち)付近に求める仮説も出されている(九州天領の研究)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234011