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行弘名
【ゆきひろみょう】


旧国名:豊後

(中世)鎌倉期~戦国期に見える名(みよう)の名。豊後国大分郡稙田(わさだ)荘のうち。行広名ともある。大分市または大分郡野津原町と思われるが比定地未詳。大神系図に,稙田氏4代有綱が四男親綱に行弘名を譲ったとあるのが初見。有綱は,平氏の鎮西下向に当たり,臼杵・緒方氏ら一族とともに,源氏に味方し,平家を追い落とし,その賞として吉藤名・野津原郷を与えられたというが裏付け史料はない。「弘安図田帳」に,稙田荘325町2反内として,「行弘名三十七町一段」と見えるのが史料としての初見(大友史料3)。地頭の名がないのは,転写の時の脱落であろう。応安5年3月南朝に奔った大友9代氏継は,建武5年から暦応2年までの間,守護代として活躍した沙弥寂本(稙田氏か)跡である行弘名・光松吉松名内田畠山野などを宛行っている。宛書が欠落しているので不明であるが,稙田文書の性格から,稙田一族のうち南朝方に味方した者に宛てたことは推察できる(今村文書/大友史料8)。終見史料は文禄元年3月の写である稙田荘名々給人注文で,「七十五貫分田所殿,十七貫分国分あと,七貫分藪之内,十貫分狭間式部丞,三十五貫分けんにうゐん,十五貫分清田殿,三貫分久土知あと,七貫分永冨与右衛門」とあり,計169貫の名であることがわかるが,所在地比定に資する史料にはならない(利光文書/県史料26)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234017