家代
【えしろ】

旧国名:日向
九州山地中央部の山岳地帯,耳川の支流柳原川の流域に位置する。四囲を山に囲まれ,西は真弓岳,北は諸塚山,東は諸塚山から星の久保・猿越山などの山々が連なり,南端は耳川が流れる。諸塚山・山頭(やまんと)峠の山地に源を発する柳原川が中央を東南に流れ,地内南端で耳川に合流する。遺跡は,地内の諸塚中学校付近,坂の下コズマキ付近,家代塚原巡査駐在所跡から磨製石斧・縄文土器・弥生土器などが発見されており,また城の道,オオラなどの地から箱式石棺が出土しているが,考古学的調査が充分なされていないので,今のところ未知数なところもある。家代神社に伝わる銅鏡11面は,古墳時代から室町期にかけてのものである。また曹洞宗玉鳳山金鶏寺に伝わる金銅装の笈1背は,織豊期にこの地方の領主であった甲斐宗摂の遺品と伝え,ともに昭和40年に県文化財に指定されている。ほかに,織豊期に一族27人とともに桂山で玉砕した肥後阿蘇家の重臣北里伯耆守為義の遺品であるという3尺3寸の山城国信国の太刀や,同時期に加藤清正に追われて,これも一族郎党二十数人とともに当地に落ちてきて九左衛門峠で同族のために討死した甲斐兵庫頭秋政の遺品という鑓・薙刀・轡などが金鶏寺にある。立岩地区と荒谷には,昔からの夜神楽が伝わり,南川地区の箕踊りや,当地北部の臼太鼓踊りなど,山林の娯楽の少ない地方なるが故に伝わっている貴重な民俗文化財がある。地名の初見は天正18年の「竿前御改書上帳写」(矢津田文書)で,「一,高百四十二石余 家代」とある。
【家代村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【家代(近代)】 明治22年~現在の諸塚村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7234496 |





